ヒトが他の動物と違うこと——「生命倫理」が当たり前の時代をむかえよう

ヒトが他の動物と違うこと——「生命倫理」が当たり前の時代をむかえよう

 

武部 啓

 

 

最近生命倫理に関する大きなnewsが飛び込んできた。 「妊婦血液ダウン症検査」が臨床研究として始まる、という報道である。 しかも現在の方法の羊水検査ではなく、血液検査で安価、かつ高い信頼性があるとされていて、羊水検査(21万円)よりはるかに安価でできるであろう。私が読んでいる京都新聞では、日本ダウン症協会の玉井邦夫理事長の話として、そのような検査を安易に紹介されたり実施されたりすることには、強く異議を申し立てたい、と述べている。9月1日には日本産科婦人科学会が「安易な実施は厳に慎むべきだ」と声明を発表した。その後どのように進んでいるかはわからないが、これまでの医療関係のできごとを考えると、政府が禁止するとは考えられず、おそらく条件付ながら広く普及する事態になるのではないか。 残念ながら日本では倫理的な視点からそれを批判できる方が、医学の分野では見当たらない。その任に当たるべき遺伝カウンセラーは、まだ126名(アメリカは1800名)しかいない。 そしてそのような「検査」を受ける方々を非難することはできない。

 

現在生まれた時に何らかの身体的や精神的などに「異常」とされる方は国連の報告書によれば9パーセントと推定され、民族によって「異常」に多少の違いはあってもその割合はほとんど変わらないとされている。 そんなに多いのか、と思われるかも知れないが、私の住んでいる京都市郊外には近くに障がい者の施設があるので、1時間ほど買い物をしていると必ず車椅子の方にお会いしたり、付き添い者とともに歩いている方が目に付く。 私がアメリカ留学中には学会などで、必ず車椅子のズペースが用意されていたし、利用者も多かった。 それはいわゆる先進国に共通であるようだが、問題もないわけではない。

 

イギリスではサッチャー首相の時代(11年間続いた)に医療費の削減が図られて、具体的には二分脊椎症(脊椎の一部が二重になっているため、その下の部分が麻痺している)を専門とする医師がいなくなり。患者はヨーロッパ大陸へ行って治療を受けなければならない、と聞いたことがある。 ダウン症についても政府の補助が削減されたと聞いたが、巽さん(近大)が調べたら日本の7倍の補助があった。

 

日本の医師の多くはアメリカに留学していて、よく「アメリカでは」の話を聞くが、アメリカは健康保険が皆保険ではなく、官庁や会社ごとに契約しているので、保険にはいっていない人々が4000万人ぐらいいるらしい。 私はかって長女がアメリカで生まれ、幸い健康保険がきいた(アメリカへ到着した後に妊娠した)ものの、入院期間は2日間だけだった。 とにかく高額でとうてい参考にならない。

 

一方いわゆる発展途上国における生命倫理はどうか。 もう十数年以前になるが、ある学会で中国の上海から当時もっとも進んだ医療を実施している病院から医師を招いたことがある。その方はビザが間に合わず来ることができなかったが、原稿を送ってきた。 私がたしか代読したが、そのなかに中国ではダウン症の子どもが生まれたら、1年以内に90パーセントが死亡している、というデータが記録されていた。 それを聞いたオーストラリアからの出席者が“殺しているんだ”と叫んで会場は騒然となった。 私は当時中国へ毎年出かけていて、事情を知る立場にあった。 具体的には、中国ではいわゆる「ひとりっ子」政策で子どもは一人と決められていた。 そのためダウン症の子どもは家族が拒否して死亡する、という悲劇があったらしい。 現在はどうなっているか知らないがおそらく同じであろう。 ひとりっ子政策は少し緩和されたと聞いているが、北京や上海のような大都市ではなく、いわゆる田舎はきわめて貧困である。 私は3年前に上海郊外の地域を訪問したが、日本の昭和30年頃の生活水準の印象であり、障がい児を育てる環境を見いだすことはできなかった。

 

日本では私はいくつかの障がい者団体とお付き合いがあるが、今の日本は私の知っているヨーロッパ諸国に匹敵するレベルにあるのではないかと理解している。 政府からの援助は乏しいが組織的な活動はめざましい。 残念ながら障がい者団体の方針や路線をめぐって対立している場合もあるが、各地域の小さな団体などの活動は地道で長く続いている例が多いようである。 いくら医学が進歩しても障がい者がなくなることはありえない。 そしてそれらの方々を大切にし、愛情を注ぐことはヒトでなければできないのである。 あらためて「生命倫理」などと言わずに、普通の人生を皆が送っている、それがこれからの日本の、そして世界の「ヒト」のあり方であると確信したい。